Ossan's Oblige ~オッサンズ・オブリージュ~

文化とは次世代に向けた記録であり、愛の集積物である。

日本が個人主義の部族社会である理由と乗り越える方法

2011年の痛ましい大地震で窮地に追い込まれた日本政府は、観光立国化と外国人労働者解禁に踏み切りました。

開国ともいえる国情を反映して諸外国へ向けた国家イメージのアピールにも積極的です。

日本人は親切で思いやりがある優しい民族

果たして、これは本当でしょうか?

都心の駅構内では、人が倒れても人々はそ知らぬふりで通りすぎていきます。
海外に進出しても、すぐに上下関係にこだわって争いを始めるため、協力できずに定着は困難を極めます。
異国で日本人とすれ違ったときの気まずさ、敵意にも近い拒絶感は、海外旅行したことのある人なら誰もが経験するところだと思います。

こうした現実を見るとき、集団主義と言われがちな日本人の団結心は、利害関係や好みを共有するごく限られた狭い範囲にしか向けられないことが分かります。

逆に個人主義と称される欧米社会では、他人が倒れていたり、あるいは困っているだけでも、それが例え利害のない赤の他人であっても、率先して手を差しのべようとします。

集団主義と呼ぶのであれば、むしろ「隣人を大事にする」欧米人の方がふさわしいのではないでしょうか。

扶助の対象が近縁・同質の者以外に向けられないという日本の社会構造は、むしろ部族社会に近いといえるでしょう。

部族集団の掟が全てに優先し、外部の集団は別世界(時には敵)と見なされる部族社会と、日本社会は共通の弱点を共有しているように見えます。

つまり、「統合性の欠如」です。

このままでは、中世のインドやアフリカ、あるいはアメリカ大陸の部族が経験してきた「大きな脅威の前に一致団結できずに滅びる」の轍を踏むことになるでしょう。


とはいえ日本の部族主義も、国家的な試練の中で自壊することになると考えます。


第1章 : 日本が部族社会なのは、宗教がないから【島国の単一性がもたらす限界】


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名言+Quotesより


「唯一神」は政治的需要から生まれた

日本人が「他人に冷たい」と言われる最大の理由は、宗教が無いからです。

「宗教や神」と聞くと、日本人の大半は、「麻原彰晃」や「統一教会」のような過去に事件を起こしたネガティブな教団を思い浮かべるかもしれません。

確かに、「宗教や神」の概念が宗教ビジネスに悪用される事例は後を絶ちません。

しかしながら、原初的な「宗教や神」は、社会的な必要性から生じたものです。

宗教成立の土台となった多民族環境の試練

島国の日本では馴染みの薄い状況ですが、異民族・異言語の集団によって成立する社会を思い浮かべてください。

民族的特徴、言語、信奉する神、全てが異なる集団同士は、もともとグループの所属も異なるはずです。

しかし、戦争という条件によって広大な領土を包摂する「帝国」という概念が生じると、多様な文化傾向を持つ小集団が大きな1つの集団の中に並立する状況が生じます。

部族が異なれば信条も異なります。

したがって、互いの「正しさ」が主張を開始し、社会には常に衝突の空気が漂います。

帝国を維持するには、社会の内部に発生する混沌を鎮めなければなりません。

そこで帝国がとった選択肢は主に3パターンに分かれます。

① どの部族にも通用する普遍性(唯一神)を拝める
② 部族ごとの住み分けを認める
③ 同化政策によって血縁ごと統合する

①は、異なる集団を1つの理論によって統合する方法です。

具体的には、超越的な神を創造し、各部族が持つ多神教の上位概念として成立させます。

あらゆる部族に通用する「普遍的な正しさ」を突き詰めた究極存在が神であり、ヨーロッパや古代イランに「唯一神」を成立させた政治的需要でした。

大航海時代のヨーロッパ人が、征服の候補国に神を持ち込んだのも、文化的距離を縮め敵意を緩和することが1つの目的だったと考えられます。


②は、部族集団ごとの統合を諦めて、神の並立を容認するスタイルです。

インド、アフリカ、アメリカ先住民、そして日本、東南アジアなどに広く見られるパターンです。

独自の生活規範が並立する多神教を認め、相互に距離を置くことで対立を防いだパターンです。

「人間の間に"絶対の真理"は存在せず、従って相互理解は不可能」という前提があるので、対立は緩衝できますが、反面、大きな危機に際して一致団結するのが苦手という弱点も抱えます。

③は、混血によって部族集団を統合させる方法論です。

東アジアの中国が実践するパターンで、朝鮮や日本にも散見されるパターンです。

中国が他国の征服を試みる際に、軍事占領は最終手段です。

最初に謀略を用いた人口支配が実践され、統治の前提が整ったか、あるいは対立に至ると最終段階として軍が出動します。

これは、チベット、ウイグル、モンゴル、台湾、香港、東南アジアなどで広く実践されてきた(つつある)方法論です。

朝鮮でも韓国の旅行者が世界各地で広げる行動を見れば非常に似たパターンを持つことが分かります。

また日本においても支配後の蝦夷地において、住民への強制移住によって同化政策が実践された記録が残っています。


宗教や文化の発達を促すのは①のパターンのみ

もちろん、①②③だけで全ての文化パターンを分類しきることはできず、複数が当てはまるものもあるでしょう。

しかしながら、部族集団が抱える軋轢を解消する方法としては、以下の3つを挙げることができます。


① 唯一神による支配
② 多神教による住み分け
③ 血縁による同化

この中で最も難易度が高いのが①の「唯一神による支配」です。

なぜなら、多神教の神に優越する普遍性を追究しなければならないからです。

人種、宗教を問わず、誰でも理解できる普遍性を持った正しさを提示できなければ、各部族の「正しさ」が衝突し、帝国は内部崩壊の憂き目を見ることになります。

だからこそ、唯一神を補強するための教理が必要になりました。

こうした条件の下で「宗教・文化(学問、音楽、建築、美術etc)」の高度化が促されます。

西洋ではキリスト教が発達し、キリスト教神学が説く教えとして「隣人を愛せ」という前提が誕生しました。

これも、相互対立を鎮めるための教えであり、一神教が促した文化背景と言えるでしょう。

冒頭で述べたような「困っている人に手を差し伸べる。またそれを評価する」欧米に深く根付く文化は、一神教の文化背景に起源を有するものであると指摘できます。

また、「神の唯一性」は絶対的な自信へと繋がり、構成員同士の宗教に基づく強力な連帯を可能にしました。


第2章 : 日本の文化パターンは、多神教型

日本の宗教は、大きく「神道」と「仏教」の2つで構成されています。

古代日本では、日本列島にアジア各地の民族が集まった情勢を反映して、信仰が多神教的に散在していました。

これらが、やがて大和朝廷の台頭とともに統合され、神道が成立します。

その後、仏教が中国を経由して入り、「大化の改新」を経た新生日本の統治理論として定着します。


日本で高度な文化が発達しなかった理由

日本には、独自の文化がありますが、その文化が「高度であるか?」と聞かれると首を傾げてしまうのが実情ではないでしょうか?

人間の差を意識せずに「共通の枠」に推しはめてしまう文化、勤勉に見えて実は「恐怖(古くは飢餓)」に駆動される行動原理。

内発的な「善」なり「愛」なり「優しさ」を生み出せなかった点は、日本文化が抱える欠点です。

その前提にあるのは、「島国&単一性」という統治難易度の低さに他なりません。

島国の面積の狭さは、統一の達成難易度を押し下げます。

大陸のように永遠の戦いを演じなければならない宿命は背負っていません。

また長期に渡る統一は民族同化を促し、単一性の形成を可能にします。

かつては、縄文人と弥生人という対立構造があり、「征夷大将軍(夷を征伐する)」に象徴されるように、激しい戦闘が重ねられた歴史があります。

しかし、12世紀ごろには東日本も平定され、長年の同化政策の成果は、今日に「単一民族」と称されるほどです。

つまり、歴史の早い段階で異民族同士が血のレベルで統合し、単一化を果たしてしまった日本において、宗教発達を促す因子は存在しません。

異教徒も異民族も内包しない単一性を背景に、「察し」や「空気を読む」という大陸ではあり得ない独特の文化風習が形成されていきます。

言葉を介さない暗黙の了解による交流の形式は、異なる思考様式が存在しない条件下でしか成立しません。


むしろ厳しさという面では「生存環境」の方に重要性が優っていました。

冬の厳しい環境を乗り切らなければならないからです。

そのため農業を成功させるために労働の価値を重んじ、「一生懸命」によって統合が成立するという世界に稀な文化圏が誕生します。

そうした環境において、部族の教理的な主張は先鋭化することなく影を潜め、宗教は形式化の一途を辿ります。

当然、理論武装の必要もないため、高度に発達させる「必要がありません」。

そのため、「部族主義」的な状態から脱却しないまま、今日に至ってしまったのです。

「触らぬ神に祟りなし」という諺は、日本人の宗教感覚の原初性と部族的な人間関係を象徴しています。


第3章 : 日本人の部族主義の終着点

日本人の部族主義的傾向は、最終的に「他国による征服」を帰結するでしょう。

歴史上、国内に複数の部族が並立する国は、巨敵の台頭に一致団結できず滅びてきました。

イスラムの侵入を許した中世インド、ヨーロッパの侵略を受けたアフリカ・中東などが代表例です。

現代の日本にも、中国移民の増加という、「人口支配」の兆しが現れ始めています。

中国移民の最終目的は政治支配です。

これは彼らの「拡大主義」というアイデンティティに根ざす志向であり、事実アジア各地で繰り広げられてきた先見事実です。

これが加速するほど、日本人の側でも横の連帯を強めなければ対処できないケースが増えてくるでしょう。

その脅威が強まるほど、日本人の連帯意識も横に広がり、部族主義の是正を否応なくされると考えます。


日本人に部族主義の改善を促すインターネット

またテクノロジーの面からも、日本の部族主義は影を潜めていくでしょう。

効力を発揮するのがインターネットです。

インターネットといえば、単なる情報検索ツールと認識されがちですが、西洋文明の普及を促します。

なぜなら、西洋型の契約主義を強いるからです。

インターネット上に展開される情報提供サイトやチャットに、日本の集団主義を持ち込むことはできません。

匿名のネット空間は、西洋人の祖先が経験した「自分と異なるかもしれない相手」との交流を前提とします。

匿名状態での交流が基本となるため、部族ではなく、人間対人間というフレームが使用されます。

人間対人間のフレームでは、年齢や所属を超えた「普遍性」がより重んじられます。

この関係の感覚が現実世界に波及することで、日本的な部族主義を上書きしていくことになると考えられます。