Ossan's Oblige ~オッサンズ・オブリージュ~

文化とは次世代に向けた記録であり、愛の集積物である。

日本の高齢者が老害と化すのは「生涯現役」思想が原因【老害国家の見分け方についても解説】

1. 日本人が老害になりやすいのは労働資源の乏しさが原因【生涯現役思想】

2019年12月2日、群馬県の関越自動車道で、80才の男性が運転する自動車が下り車線を逆走し、前方から来た自動車と正面衝突する事故が起こりました。

https://sp.fnn.jp/posts/00428196CX/201912020032_CX_CX

衝突の結果、逆走車を運転していた男性(80)が死亡し、衝突された車にのっていた2名が重軽傷を負った模様です。

加害者の高齢男性は足に障害を持ちながらも、周囲からの免許返還の薦めを辞してまで運転にこだわっていたとのこと。

理由は、「周囲に迷惑をかけたくない」でした。

私は、この事件に老害を量産してしまう日本文化の因果を見た次第です。

日本は老害の「出る杭を打つ」で衰退するパターンを繰り返す

1939年、ソ連の間に起きたノモンハン事件の敗北の原因は、日本軍の兵器の近代化の遅れに求められます。

欧米の兵士が最先端の自動小銃を携帯する一方で、日本軍は旧式の単発銃の量産に腐心していました。

そのありさまは、ソ連の将校からも「30年前の日露戦争の時と変わらない」と評価されたほどです。

軍を指導した3名の指揮官にはソ連に内通する者もいたほどで、兵器の近代化に躊躇したことに加え、まさに老害の極みでした。

「技術革新を嫌う老害によって国際競争に敗れる」という日本のパターンは今に始まったことではなく、定型のパターンであることが伺えます。

中国は、意外と老害が少ない

日本の問題を考えるとき、ある人は文化モデルとなった中国に原因を求めるかもしれません。

しかし中国では、技術革新を妨害する老人の姿は目立ちません。

もちろん、儒教の年功序列ルールに従って年上への敬礼は絶対です。

しかし、そうした礼儀の大部分は作法によって支えられています。

すなわち、形式上の上下関係であって、上下関係が精神の領域にまで及ぶことはありません。

礼儀作法を満たしさえすれば、精神上は老人に対する抵抗が認められ、そして年下にも発言権が認められるのです。

実際に現代の中国は、欧米で最先端の潮流が生まれると、いち早いコミットを試みます。

もちろん、既得権益の克服を目指す社会主義という国情もあるでしょう。

しかしながら、資本主義経済の導入、IT化の導入を矢継ぎ早に達成し、さらには電気自動車、自然エネルギー利用の潮流に世界最速でコミットしつつある切り替えの早さには目を見張るものがあります。

同じ東アジアに属しながら、日中の間に改革に対する姿勢の違いがあることは、誰の目にも明らかです。

この違いを産み出しているのが、老人の態度だと考えます。

日本は老害の宝庫【出る杭は打て】

日本国の改革嫌いは、老人の意見をそのまま反映した結果に他なりません。

改革は、新しい技術が生まれた時に必ず起こる現象です。

インターネットの誕生が手書き文章を旧態化させたように、効率性に優れる新技術は古い制度を淘汰します。

現代において技術は世界的に共有されるので、新しい技術が誕生するとすぐに国家システムの更新があちこちで起こるようになります。

かいつまんで技術革新を説明するなら上記のような流れでしょう。

ところが、既得権益層はこの動きを歓迎しません。

技術革新とはイコール旧式の否定ですから、旧時代の勝者である既得権益層は、改革が起こると食い扶持を失います。

それまでの優雅な生活を失いたくない既得権益層は、新しい世代から提起される改革の芽を摘もうと躍起になるのです。

もちろん、この老害は、日本だけに存在するものではありません。

しかし、世界の国々は、長い歴史の中で、先見的に次の教訓を知っています。

老害(既得権益層)の横暴は、国家の将来に影を落とす。

フランス革命やマルクス主義の主要テーマも、既得権益の克服です。

いっぽう、長年の幕藩体制に甘んじてきた日本には、権力に反発する文化背景を持ちません。

民衆の生活はお上の決定に左右されましたが、西洋のような搾取を受けることもなかったのでwin-winが成立していたのです。

その後、幕藩体制は欧米思想によって解体しましたが、お上に従う封建思想までは崩れませんでした。

その象徴が「年功序列」方式です。

これは年上が賢いという考え方で、現実には会社での実務年数にしたがって評価が決定されます。

現代の日本は、宗教的な上下関係が実力や効率性に優先されることで、老害による技術革新の妨害に歯止めが効かなくなっているのです。

これは、上層だけでなく末端においても同じです。

日本人は老いてなお現場に居続ける選択を好みます。

「生涯現役」の合言葉が象徴するように、年老いてなお現場に居続けることが美徳であり、定型的な人生観なのです。

もちろん、年金財源の不足といったシステム面の問題もあるでしょう。

しかし現実として、日本の労働現場では多くの高齢者が働き続け、上下関係の重視から権力を振りかざしがちです。

既得権益層がそうであるように、高齢の労働者は若者世代の先進的な発想を否定します。

自分の優位を守り抜くには、変化の出鼻をくじかなければならず、それなくして老後の安全は保たれないからです。

改革の障壁の高さは、日本人が既得権益層を退かせる術を知らないのと合わせて、「生涯現役思想」の弊害ということができるでしょう。


老害の発生源である「生涯現役」思想の背景は、日本に戦争捕虜がいないこと

日本における「高齢者の老害化」は、高齢労働を美徳とする「生涯現役」思想に依拠します。

「生涯現役」という発想は中国にはないらしく、中国人の目には日本の働く高齢者の多さは奇異に映るようです。

では、日本人特有の「生涯現役」思想は、いったいどの様な条件に導かれているのでしょうか?


それは、労働資源の乏しさにあります。

いきなりですが、戦争は戦勝国と敗戦国を分け、戦勝国に敗戦国の領民を奴隷として与えます。

広大な大陸では領土紛争が止むことがなく、その度に勝敗が分かれました。

戦勝国に与えられる戦争捕虜は労役を担う奴隷となり、戦勝国の労働市場を潤してきたのです。

西洋の王宮、エジプトのピラミッド、インドのタージマハル、カンボジアのアンコールワットなどは、かつての強国の栄華を今に伝えるモニュメントです。

しかしながら、それに携わる肉体労働のような末端労働は、奴隷の仕事です。

したがって軽視され、悪徳として差別されることになりました。


いっぽう海で大陸と隔てられた日本には、大陸では避けられない領土紛争が起こりませんでした。

もちろん、半島を攻めた時代も確認できますが、国力が高まった数百年に1度のイベントに過ぎません。


戦争が起こらないということは、戦争捕虜も生じないということです。

奴隷を認めない社会では、労働は自分達の手で行う神聖な行為です。(国内統一にいそしんだ古代には、日本にも奴隷がいた)

神聖な行為であるなら、労働の種類は問題でなく、神事として一生懸命に取り組まなければなりません。

その真剣さが、現代には高性能な日本製品として世界に名を馳せ、スポーツ領域にも波及することで世界に通用する名選手を量産できたのです。

しかしながら、「戦争捕虜がいない」条件は、慢性的な労働者不足を引き起こします。

労働を自民族の範囲内で行うなら、労働資源の調達方法は人口維持しかありません。

しかも、医療もなく穀物生産力に上限のある中世では、乳児の死亡率も高まります。

そうした中で、国内需要を自民族だけで満たすには、国民の総動員が絶対です。

実際に、明治維新の頃は児童労働も当たり前であり、働ける老人の動員は当然の義務でした。

日本の高齢者が持つ強迫観念にも近い「生涯現役」は、日本の「労働資源の乏しさ」という条件に由来しているのです。

日本と好対照なのが中国です。

中国は高齢者に労働を強いる文化を持ちません。

中国の労働者は、40歳〜50歳には現役を退き、その後は家庭で孫の世話するのが普通のようです。

子供の教育役を高齢者が担うので、現役世代は家事に追われることなく、仕事に注力できるのです。

このように高齢労働の伝統を保たない中国は、領土拡大に苦心した歴史を持つ国です。

北方の騎馬遊牧民、南方におけるチベット、西方のオアシス勢力といった陣営に取り囲まれる中で、矛を交え、時には敗れながらも、19世紀に植民地化するまでかろうじて強国の地位を保ちました。

その過程で獲得したあまたの戦争捕虜を中国本土に移住させ、雑役に割り当ててきたのです。

つまり中国は、戦争によって労働資源を調達できた点で日本と異なります。

自国の外部から労働資源を調達できるので、労働市場の供給率も高く、自国の高齢者に強いる必要はありません。

そのため、高齢者も組織の内部に固執することなく、次世代の教育係として、社会の行く末を見守るような老年を迎えることができるのです。

もちろん、田舎に行けば街で威張り散らす老害風の人もいるでしょう。

しかし、少なくとも老害が労働分野に波及していないことは、彼らの技術革新の速さで証明済みです。

このように、技術革新の円滑さに隔たりのある日中の間には、文化的な老人の人生観に違いが確認できます。

高齢労働の伝統を持たない中国では、戦争によって豊富な労働資源の獲得が可能でした。

中国の労働者は40歳〜50歳で現役を退くので、現場の指揮者も更新されます。

いっぽう高齢労働を良しとする日本は、島国の地理条件により労働資源の獲得が難しい状況に置かれてきました。

労働資源が少なければ、戦力外であるはずの高齢者に強いなければなりません。

現場に残る高齢者は、自らの立場を守るために次世代の提起する改革を嫌います。

その老害の嫌悪感が実際に行使され、技術革新の遅れという国際競争の足かせを抱えてしまっているのが日本の現状なのです。


人材不足が続く限り、日本人の老害化は絶えない

「生涯現役」を旗印に、高齢者を組織に残せば、彼らは自動的に老害化します。

自らの立場を守る必要に迫られるからです。

少子高齢化により人材不足が加速する中、年金支給年齢の65歳引き上げが施行されました。

2025年までの段階的な措置ですが、大多数の日本人に65歳までの労働を義務付けたようなものです。

働く高齢者の割合が高くなれば、老害化の勢いはさらに加速していくでしょう。

老害の発生を抑止するには、年金財源の確保か少子高齢化の克服しかありません。

それらに現実味が薄い以上、日本人の老害化は悪化こそすれ、改善を期待することは難しいでしょう。


2. 国家の老害レベルは、歴史的な国力を紐解けばだいたい分かる

老害傾向が高い日本人は、歴史的な大戦争をほぼ経験しませんでした。

そのため労働資源の獲得機会に乏しく、労働需要を若年〜高齢の全人口層で満たしてきた文明圏です。

もちろん、近代には太平洋戦争、さらに遡れば慶長・文永の役で朝鮮人技術者を略奪し部落に押し込んだような形跡もあります。

しかしそれは、長い歴史の中に現れた例外的なパターンにすぎません。

日本のような戦勝経験が少ない国、あるいは戦争に敗れて属国と化した国は、国内の労働資源が枯渇します。

そうした国々は、不足する労働者を、普通なら戦力外である高齢者で補填しなければなりません。

組織に居続ける高齢者は、若者の改革を嫌い、それが行使されることで老害と化してしまうのでした。

これが国家規模で表現されることで老害国家となり、技術革新が停滞します。

一方、大帝国を築いた国は、戦争に勝ちまくった国なので、領土のあちこちから奴隷を徴募できます。

そのため、戦力外の老人は次世代の育成などに割り当てられ、現場からは退くのです。

そのため、高齢者の老害化は起こりません。

労働現場も現役世代に集まるので、技術革新を行いやすくなります。


地域覇権を握った国々では、老人は保護されやすい

ユーラシア大陸の支配に成功した勢力は存在しません。

しかし地域覇権を達成した国は、あちこちに存在します。

今日の欧米、中国、インド、トルコ、タイ王国などは、地域覇権を成し遂げた帝国の後継国といえるでしょう。

これらの国々は、武力で異民族を征服することで、征服国の労働資源を獲得できました。

したがって、労働資源も豊富であり、高齢労働の必要性に迫られることはありませんでした。

その証拠として、これら強国の後継国に「生涯現役」や「年功序列」を採用する国々は、ほぼありません。

インドやトルコの労働環境を伝える日本メディアは多くありません。

しかし、少なくとも実力主義で貫徹していることは確かなようです。

例外としてタイ王国だけは年功序列傾向が高いですが、これは英仏の緩衝地帯として王制が温存された関係も大きいでしょう。

しかしながら、ラオス、カンボジアからの戦争捕虜の流入は旺盛であり、自国の老人に高齢労働を強いる文明圏でないことは確かです。

現地の老人も、現場にしがみつくことなく、朗らかな笑顔で将来世代を見守っています。

また欧米や中国の老人が、自由を謳歌やすい環境へと保護されていることは語るまでもありません。


老害国家かどうかは、老人に対する保護の原則が守られているかで決まる。豊かな強国ほど老害率は下がる。

高齢者への労働の強制がマイナスに働くことは、普遍的な価値観のはずです。

もちろん登用に値する優れた能力を持つ人物もいるでしょうが一握りの少数であり、大多数の高齢者は既に衰えによって全盛期の力を発揮できません。

そのような高齢者を労働者に据えれば、生産への打撃や、理不尽な使役が重なることで過激な暴力デモさえをも結果しかねません。

したがって、社会的には高齢者には大人しく過ごしてもらった方が良いのです。

そのため、欧米では福祉制度が生まれ、中国では高齢者の隠遁が伝統が形成されました。

しかしこの常識が守られるのは、労働資源の豊かな強国のみです。

戦争がない、あるいは属国に陥った国々は、不足する労働者を補填するために、高齢者に強いなければならないのです。

実際、世界中に植民地を得た英米人を頂点に、歴史的な国家の権力と老人の平穏さは比例関係にあるように思えます。

つまり、近代史に権勢を誇った国ほど老害率は低く、逆に戦争に弱い、あるいは戦争が少なかった地域ほど老人の老害化の程度が激しいと見ることができます。

もちろん、国家の老害率というテーマは、科学的な数値を割り出せる対象ではありません。

しかし、強国ほど老害率が低いという事実は、逆に労働資源を奪われてきた弱小国の国情がよく示しているように思われます。


老害率の高い国では、老人絡みの問題が多い。

韓国といえば、歴史ドラマを通して強国としての国史を視聴者に刷り込んでいますが、実際は中国の属国だった国です。

自治の代償として、宗主国中国に対する、貢物、労働者の献上が義務付けられました。

つまり、韓国は中国に労働資源を吸収されてきた弱小地域だったのです。

2013年の時点で、65歳以上の労働参加率は44.4%と高い数値を示す韓国では、近代化を果たした今でも高齢者の老害化が収まらない様子です。

彼らは隙あらばと若者を威圧し、立場の上下を分からせようと粗探しに必死です。

日本の生涯現役思想は、まだ生産性がありました。

しかし、韓国では不毛な儒教道徳が未だに幅を効かせているのです。


また戦争が少なく戦争捕虜の流入が僅かだった日本でも、人材不足は慢性的です。

2013年の時点で、65歳以上の労働参加率は39.7%と、韓国より低いながらも高い数値を誇っています。

高齢者への負担も大きく年功序列思想の土壌もあるため、老害率は高いと言わざるを得ません。

冒頭の逆走車を運転していた高齢ドライバーは、足に障害があるにも関わらず、周囲からの免許返還の薦めを辞退していました。

理由は「周囲に迷惑がかかるから」です。

この考えは、周囲がみんな労働に追われて忙しいため、車を出すために迷惑をかけてはいけないという常識的な判断に基づいてます。

しかし、本来80歳もの高齢者が周囲に保護されるのは社会として当然の発想です。

つまり、冒頭の逆走車の事件は、日本の老人に対する保護の脆弱さが露になった事件だといえます。

これに対して、欧米、中国、インド、トルコ、タイといった繁栄を謳歌した地域の老人は、高齢になってまで労働の義務を負いません。(一部の貧困層は別)

したがって、現場から退き、自らの選んだ老後を楽しむことができます。

現場からも離れているため謙虚で、すでに衰えた身の丈を弁えています。

日本にいたらまず避けられない、老人の「出る杭を打つ」、「不快でわざとらしい咳込み」、「明らかに意図的な妨害行為」といった行動は、人生の邪魔です。

移民の増加にともない不安定性が増大するなかで、貧困から自暴自棄に陥り、冒頭の暴走運転のような事故を起こす高齢者はこれからも後を絶たないでしょう。

もし万が一巻き込まれれば、あなたも道連れです。

相手は責任を取ってくれません。

老人に囲まれていては、思い切った勝負も仕掛けにくいでしょう。

高齢者が起こしがちな問題とフリーでいたいなら、いっそのこと豊かな国々へ海外移住をするのも一つの選択肢かもしれません。