Ossan's Oblige ~オッサンズ・オブリージュ~

文化とは次世代に向けた記録であり、愛の集積物である。

「マンダラ理論」とアンコールワットの建築構造【Divine Kingとマンダラ理論は1セット】

アンコールワットは、カンボジアが誇る東南アジア屈指の宗教建築です。

しかし、なぜアンコールワットが世界的な注目を集めるに至ったかというと「?」の方が多いのではないでしょうか?

実は、アンコールワットの建築構造は、東南アジアの王権思想を象徴しています。

クメール帝国が残した一大傑作について詳しく知ることで、東南アジアの文化についてより深く知ることができるでしょう。

アンコールワットの設計

アンコールワットって何?建立年代、王朝、歴史

アンコールワットは、12世紀前半、クメール帝国によって建立された宗教寺院です。
当時のクメール帝国は、西はマレー半島、東はカンボジア地方、北はラオス地方にまでの版図を実現した黄金期にありました。

首都アンコールは、宗教寺院であると同時に王都でした。
その広さは、南北8km、東西24km(192km^2)。

これは産業革命の以前における世界最大級の規模とされています。

この巨大都市の中に72の石の宗教寺院が建立され、周囲を堀で囲まれた要塞は、国内外にクメール帝国の権勢を轟かせました。


この都市の中心に築かれた代表的な建築物が、スーリヤヴァルマン2世の治世に築かれたアンコール・ワットです。

アンコールワットの構造

「建築の奇跡」として、現代なお人々を驚嘆させるアンコールワットは、、クメール帝国の傑作的寺院です。

その設計は、東南アジアの統治理論である「マンダラ理論」の概念モデルに従って設計されています。

建築群の壁画にはヒンドゥー教をモチーフにした3000もの天界の精霊が描かれ、構造物の距離は、ヒンドゥー教の宇宙観に基づく数字に従って配置されています。
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研究者によると、同時代のヨーロッパの大聖堂の10倍もの大きさを誇りながら、構造と概念モデルとの偏差は0.01%未満

この壮大な建設物をわずか30年の歳月で完成させたところに、当時のクメール帝国の権勢を確認することができます。


建築物は、中心の祠を取り囲む4つの構内で構成され、それぞれの構内の四方から伸びるゲートで相互に接続されています。
中央には「山の信仰」をモチーフとした高所の祭壇を持つ祠が設置され、王権を象徴しています。

訪れたことのある人は分かると思いますが、ハシゴを伝って登り降りします。

この構造は、インドのメル山を象徴しており、「首都アンコールの中心に築かれたアンコール・ワットのさらに中心の祭壇」という構造がマンダラの宇宙観の中心(王)を象徴しています。


アンコールワットの意図

クメール王がこのような壮大なアンコール・ワットを「築かなければならなかった」のは、なぜでしょうか?
アンコール・ワット建立の背景には、「マンダラ理論」と「Divine King」の2つの概念が強く関係しています。

アンコールワットが建立された12世紀、クメール帝国はその領土を仏教勢力が守るモン族(タイ・ビルマ地方)の異民族地域にまで広げる黄金期にありました。

つまり、大きく拡大した帝国内部における「ルールの維持」が不可欠な情勢にあったのです。

アンコールワットの設計モデルとなったマンダラ理論とは?

「マンダラ理論」の説明 語源 提唱者

「マンダラ理論」は、20世紀のイギリスの歴史学者オリバー・ウィリアム・ウォルターズ(Oliver William Wolters)氏が、東南アジアの王朝に見られる固有の統治パターンについて言及した言葉にちなんで命名された用語です。

クメール帝国の時代には概念名こそ存在せず、王国の伝統に過ぎませんでした。

しかし、その伝統は創始者ジャヤーヴァルマン2世が導入して以来のものであり、クメール帝国の伝統的な統治理論として威力を発揮し続けました。

マンダラ理論の構造

サンスクリッド語で「円」の意味を持つ「マンダラ」は、ヒンドゥー教・仏教における宇宙観を象徴します。

真理を象徴する中心の周囲を、同じく中心と四方へのゲートを持つ4つの構造が取り囲み、真理へ到達する道筋を表しています。

アンコールワットの中のマンダラ理論

アンコール・ワットは、マンダラ理論の概念構造に基づいて設計されたヒンドゥー教寺院です。(のち仏教寺院に改装)
構成要素間の距離、配置、また壁画に彫刻されるラーマーヤナなどの宗教絵画は、ヒンドゥー教の宇宙観に由来しています。

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アンコールワットの航空写真

マンダラを模して配置された4つの祠(マンダラ)の中央には、インドの「山の信仰」をモチーフとした高所の祭壇が設置され、祠のそれぞれが中央の祭壇と四方へ開かれた通路を持つというマンダラ理論に則った設計がなされています。

マンダラの中心に君臨したDivine Kingとは?

Divine Kingって何?概念、起源、歴史

Divine Kingは、東南アジアの王朝成立期にまで遡るインド由来の思想です。

海洋貿易を通して東南アジアにインド化の流れが波及した頃(1~2C)、インド原産の思想がバラモン階級の手によって東南アジアに伝わりました。

その思想の中の1つが「Charkrapat」です。
これは、インド統一を初めて成し遂げたマウリヤ朝の王に捧げられた理想の王を象徴する概念です。

これがのち5世紀に東南アジアでローカライズされてDevaraja(Divine King)の概念が誕生します。

この思想の最大の特徴は、王に政治と宗教の絶対的権力を与え、人間を超越した神に等しい存在としてみなす点です。

5世紀のジャワ(インドネシア)に原型が現れた後、9世紀のインドシナ半島に持ち込まれ、クメール帝国のジャヤーヴァルマン2世によって初めて導入されて以降、帝国の伝統として定着します。

この概念は、のちにクメール帝国の政治基盤を引き継いだタイ族、ラオ族あるいはビルマ族の王朝を介して、「王を神聖視する伝統」を東南アジアに根付かせました。

その痕跡は、今日のタイ王国の王朝の儀式、宗教建築などにも色濃く反映されており、いまでも「東南アジアにおける王=神」は絶対であり、現地民から奪い去ることはできません。

マンダラの中心にDivine Kingが君臨した?

Divine Kingは、クメール帝国の王権の拠り所となり、「神に等しい」王の求心力によって広範な公共事業を可能にしました。

しかし、「王の神性」は諸刃の剣です。

自身の神性を証明できなくなった時点で、王は統治の正当性を失うからです。

「なんだ、ただの人間か」と思われてしまった時点でアウトであり、帝国は瓦解を迎えます。

こうした伝統の中、歴代のクメール王家にとって最大の課題は、いかに領民に向けて自身の神性を証明するか?に注がれました。

歴代王家の苦心は、今日なお東南アジアのいたるところに確認できる壮大な宗教建築や儀式に名残を残しています。

アンコールワットは、「Divine King」の伝統が達した完成系であり、権力の絶頂期にあるクメール帝国の集大成と見てよいでしょう。

マンダラの中心に君臨させた意図

このヒンドゥー教の宇宙観をモデルとした寺院の中心に王は君臨しました。

その意図は、言うまでもなく王の神性の実体化です。

異文明にまで広がったクメール帝国の中心都市のさらに中心に建立されたアンコール・ワット(マンダラ)の中央に王自身を置くことにより、「宇宙の中心に君臨する王」を象徴したかったのだと考えます。

これにより、観念に終始しがちな「Divine King(神に等しい王)」の思想に実体が与えられ、異民族地域にまで広がったクメール帝国の統一に貢献したことが考えられます。