Ossan's Oblige ~オッサンズ・オブリージュ~

文化とは次世代に向けた記録であり、愛の集積物である。

【DNA鑑定】Y染色体ハプロタイプが立証するカンボジアとインドの近縁性【カンボジア・インド同祖論3/3】 

「インド化」の影響は東南アジア全域に及んだのに、どうしてカンボジアにだけ強い名残が感じられるのでしょうか?

それは、カンボジアとその他の国々が歩んだ歴史の隔たりに依存しています。

カンボジア人とインド人の類似性は遺伝子の連続性にまで言及することができ、東南アジアの中でも随一の影響を残しています。


カンボジアは東南アジアの中で最もインドに近い国

カンボジア以外の地域は、東南アジア圏外から襲来した異民族の支配下に下り、インド的要素が上書きされました。
一方カンボジアは、緩衝地帯という立ち位置が結果的に異民族支配を免れさせ、インド的要素を温存させました。

その痕跡は、父系遺伝子ハプログループY型の近縁性の中に確認することができます。

東南アジアの大多数の国がたどった歴史

他の東南アジア諸国には異民族支配が及んだ

異民族の流入が、カンボジアと他東南アジア地域に異なる歴史の方向性を与えました。

東南アジアのカンボジアを除く地域(タイ、ラオス、ビルマ、メコンデルタ、フィリピン、海峡部)は、インド化の後、異民族の支配下に降り、インド性は色あせます。

異民族の侵入を許した地域では、古い要素は捨てられ、支配者の文化に置き換えられるか、融合するかという変容を余儀なくされました。

いっぽうカンボジアは、17世紀以降、タイとベトナムの二大勢力に挟まれ、劣勢を余儀なくされるも、緩衝地帯として王族と文化を温存させることに成功します。
17世紀のベトナム移民によるサイゴン略奪後、虐殺に晒されたチャム人の難民受け入れを行うなど「インド・ヒンドゥー文化の最後の砦」として独自性を保ちました。(チャム人はムスリムも多い)


インドシナ半島への異民族の侵入

「インドシナ」という名称は、この地域がインドと中国の影響力を強く受けてきたことを示唆しています。
初期にはインド勢が先行するものの、交通路の整備と共にチベット・ビルマ系の民族が華南から南下してくると、中国(系統の)文明の後塵を拝することになります。

タイ、ラオス、ビルマへは、中国南部の南詔に起源を持つ諸民族(タイ族、ビルマ族)の影響が及びました。
メコンデルタはベトナム人、海峡部の島々はイスラム教徒やヨーロッパの勢力下に降ります。


東南アジアに及んだ非インド系文明・タイ地方タイ族の南下(13C独立)
・ラオス地方タイ族の南下(14Cラオ族として独立)
・ビルマ地方ビルマ族の南下(7Cから)
・メコンデルタベトナム族の南下(17Cサイゴン放棄)
・マレー半島、スマトラ島、ジャワ島、カリマンタン島、カリマンタン島etcイスラム教勢力の浸透
・ルソン島、ミンダナオ島イスラム、キリスト教勢力の浸透

インド化を遂げた地域を手中に収めた勢力は、古いインド式の思想と様式を捨て去り、新しい様式へ上書きします。
もちろん、先住民の信仰を不当に妨害すれば過激な反乱を招くため、統治に利用するために温存されたタイやラオス、ビルマのような例も少なくありません。
しかし、初期のインド文化の面影は崩され、完全に上書きされるか、支配者が持ち込んだ文化様式と融合するかの経過を辿ります。

こうした地域では、表向きインド原産の仏教が採用されていても、その原初性は失われてることがほとんどです。

ミャンマーの仏塔

タイ王国の仏塔

カンボジアは最後の砦となった

アンコール放棄後のカンボアジアは、東のプノンペンに落ち延びます。
17世紀にはサイゴンへの移住を許したベトナム族の割拠を許し、クメール・チャム人が追放され、メコンデルタを失います。
貿易の要衝であったメコンデルタの喪失は、王国の衰退に決定打を打ちました。
その後は、タイ族とベトナム族に東西から脅かされ、時には本土侵略を受けます。
しかしながら、アンコールワットに象徴されるように文化侵略の形跡は薄く、古代インドの文化の面影をはっきりと温存させることに成功しています。

王朝の起源に「カンブジャ」(インド北西部のインド・イラン系民族の部族)が据えられていること、ヒンドゥー教寺院・アンコールワットが描かれた国旗のデザイン、そしてカンボジアの人口の96%をクメール人が占めることが、カンボジアがインド的要素を保存している何よりの証拠です。


DNAのハプロタイプが立証する類似性

Y型染色体ハプロタイプの調査の結果、カンボジア人はインド人由来の遺伝子型を継承していることが判明

では、カンボジアとインドの近縁性を科学的に証明することは可能でしょうか?
可能です。
それは、ヒトのソースコードであるDNAを分析することで検証できます。

結論からいうと、カンボジア人のY型DNAの約5%にインド人と同素的な遺伝子が確認できます。
現実と切り離されがちなカンボジアの建国神話にさえ、DNA研究に基づく科学的な輪郭を与えることすら可能でしょう。

インド・ヨーロッパ語族由来のY染色体 R型

カンボジア人のY染色体には、R型というインド・ヨーロッパ語族由来の配列パターンが確認できます。

ハプロタイプとは

DNAハプロタイプとは、アレル(両親から受け継がれた対立する遺伝子の一方)を構成するDNAの塩基配列の並びです。
一般的には、DNAを構成する塩基配列に確認される変異のことを指します。

DNAが持つ30億塩基中、1000塩基に1回の割合で変異が起こります。(計300万塩基)
この「多型」と呼ばれる、塩基配列における1%未満の差異が、人間の個性を規定しているのです。

ハプロタイプというときは、主に個人の差異を規定する塩基配列に起きている変異のことを指します。

ハプログループとは

Y染色体のハプロタイプを統計分析し、民族条件と結びつけてグルーピングしたパターンを「ハプログループ」と呼びます。

Y染色体は、両親から1つずつ渡されるX染色体と違って、単一で次世代に伝えられる特徴を持ちます。
そのためX染色体に起こるような組み換え(遺伝情報の交差)が起こりません。
突然変異でも起こらない限り、世代間で同一の情報が伝達されるのです。

世代間で伝えられる情報が同一ということは、現世代のY染色体と先祖のY染色体の間に、ほとんど違いはないということです。
両者に変化がないということは、現世代のY型染色体のハプロタイプを解析すれば、父祖の系統を遡ることできます。

このようなY染色体ハプロタイプの分析を民族条件にまで敷衍させたのが、Y染色体ハプログループの概念です。
DNA塩基配列における変異の起こり方のパターンを、世界規模の統計分析によって抽出することで、各民族の父祖グループを辿ろうという考え方です。

例えば、AとBという地域に、共通のD型と呼ばれるY染色体ハプログループを持つ集団が認められたとします。
この場合、たとえAとBという地域の空間的な距離が離れていても、民族を構成するD型の集団は、同一の先祖グループから分かれた集団と見なすことができます。

このY染色体ハプロタイプにはA〜Qまでのパターンが用意されており、人類がアフリカから世界へ拡散していくにつれアフリカ始祖型のAから分岐パターンが増えていったと考えられています。

カンボジア人とインド人のY染色体ハプロタイプ

インド人
R 51.9% H 24.5% J 7.8% O 4.8% L 4.3%
カンボジア人
O 63.5% J 10% K 5.8% C 5.3% D 5.1%R 5.0%

この両者に一致するR型こそが、古代カンボジアへ渡来したバラモン階級のインド人の痕跡です。

インド人は、多様な民族構成を持つので、そのY染色体ハプロタイプも多様です。
先住民は、ドラヴィダ系のH型、東・東南アジアに多く見られるO型などを持っていました。
これにイラン地方から侵入したアーリア系のR型、L型、アラブ系のJ型などが混入し、今日のインド民族を形成します。

たしかにカンボジアは、1863年の保護国化から1954年の独立までフランスの統治下に置かれていたので、この91年間で、フランス軍人と現地女性の間に通婚が重ねられた可能性も指摘できます。
しかし、カンボジア人に確認されるY染色体ハプロタイプR型(R1a1型)は、フランス人を含む西ヨーロッパでは珍しいハプロタイプなのです。


ハプログループR1a型ウッタルプラデーシュ州のバラモン階級、コーカサス地方のアディゲ人
ハプログループR1a1型北コーカサス地方のアディゲ人、東ヨーロッパのロシア人やポーランド人

こうした地域の人々は、古代インドに襲来したイラン系アーリア人種と同一系統であり、現地民を支配した後、自らバラモン階級に就いた人々です。
つまり、カンボジア人男性のY型遺伝子に確認できるハプログループR型は、歴史的に交流を重ねてきたインド人由来のR1a系統である可能性が高いのです。

「カンボジア」王家の成立神話は、「カンブジャ」というイラン系部族出身のクシャトリア階級(バラモン階級から降格)の人物になぞらえられています。
これは、南インドのパッラヴァ朝の移転に過ぎないとする声も一部にありますが、DNA解析の結果、カンボジア人の約5%(あくまで見本)にイラン系民族のY型遺伝子を確認することができたのです。

このことは、カンボジア王朝の主張する起源説に説得性を与えています。

カンボジアを除く東南アジア諸国のY型ハプロタイプ

インド人由来のハプログループR型を継承していることが確認されました。

では、歴史の初期に「インド化」の影響を受けた他地域のハプログループは、どのような構成を示しているのでしょうか?


東南アジア諸国のハプログループ構成インド人R 51.9% H 24.5% J 7.8% O 4.8% L 4.3%
インドネシア人O 73.3% R 6.6% K 6.4% C 4.8% F 2.8%
マレーシア人O 67.4% K 9.3% R 5.3% C 5.3% G 3.0%
カンボジア人O 63.5% J 10% K 5.8% C 5.3% D 5.1% R 5.0%
ミャンマー人O 45.6% D 19.6% K 14.3% DE 9.6% R 2.9%
ベトナム人O 78.9% Q 6.1% C 4.2% J 3.0% N 2.4% (R 1.6%
タイ人O 83.6% BT 6.5% K 4.1% DE 1.6% NO 1.6% (R 0.5%
フィリピン人O 50.3% K 47.4% C 2.1% (R 表記なし
(参照 : http://atlasdna.xyvy.info/country-national-haplogroup-chart-dna

インド・ヨーロッパ語族系のR型は、東南アジアのほとんどの国で共有されていることが分かりました。
しかし、その分布はまだらです。

R型を最も多く継承している地域はインドネシア(6.6%)、次いでマレーシア人(5.3%)です。
カンボジアは、上記2国に次ぐ第3位です。(R : 5.0%)

しかし、インドネシアとマレーシアは、イスラム教勢力やキリスト教勢力の手に落ちた地域です。
西ヨーロッパの支配民族と現地女性の通婚が重ねられた可能性は高く、確認されるR型遺伝子の全てがインド経由とは言い切れません。

一方、大国の緩衝地帯という立場でありながら、直接支配を免れたカンボジアには、バラモン階級に属する北西インド人の遺伝子的痕跡(R1a1)が確認できるのです。
このR1a1は、イラン方面からインドに移住してきたアーリア系民族に確認できるY染色体ハプロタイプです。

これまで見てきた通り、プノンペンの博物館で出会ったフランス人や私の覚えた直感は正しいものであったことが、DNAハプログループから立証されました。

カンボジアは、古代から取り入れたインド型の文化様式が、外国の直接支配によって失われることなく温存された地域です。
また古い時代のインド文化だけでなくその遺伝子型まで、脈絡と継承し続けている地域ということができます。


カンボジアとインドの類似性の原因まとめ東南アジア最初の港として古代インド人を受け入れた
「カンブジャ」というイラン・インド系部族を王朝の起源に求めるほどインドとの関わりが深い
異民族の直接支配を免れたので、文化と民族の上書き現象を回避できた
Y型遺伝子のハプログループもインド・ヨーロッパ語族系のR型を継承