オッサンズ・オブリージュ

文化とは次世代に向けた記録であり、愛の集積物である。

アジア通貨危機で中国がダメージを受けなかった理由(仮)

■ はじめに
1997年5月、タイ・バーツは、大量の空売りに見舞われます。
当時のタイは、自国通貨を米ドルと連動させるドルペッグ制を採用していたため、これを維持するためには、通貨当局が売りの量に応じた買いを入れなければなりません。
これを捻出する持ち玉が外貨準備高なのですが、当時のタイには、殺到売りに抵抗できるだけの外貨準備が残されていませんでした。
2ヶ月後の7月には、抵抗買いの断念と、固定相場制の廃止が決定します。
これは、通貨価値の決定を市場の成り行きに任せる変動相場制への移行を意味しました。
実勢値よりも高値に放置されていたタイ・バーツは、大幅な切り下げを余儀なくされます。

アジア通貨危機の始まりです。

当時のタイにおいて、通貨切り下げは、深刻な影響を及ぼしました。
タイの抱えていた問題は深度を増し、タイ経済の機能は麻痺状態へと追いやられます。
これと連動して、不安心理から、通貨空売りが近隣のASEAN諸国にまで波及。
通貨下落が一巡すると、今度は、同様の矛盾を抱えていた東アジアの韓国にまで広がり、アジア経済全体を巻き込む混乱に発展したのです。


しかし、通貨危機に見舞われたアジア各国でも、被害状況は国ごとにまちまちでした。
中でも、被害がほとんどなかったと言われるのが中国です。
1991年の対外開放以来、その市場価値を見出され投資の殺到していた中国は、一見すると大きな被害が出ていてもおかしくないはずです。
外国資本の撤退によってアジアの経済危機が引き起こされる中、外資主導経済の中国がなぜ無事に済んだのでしょうか?

この問題意識から
「アジア通貨危機による被害レベルを決めた要因は何だったのか?」
という問題について、各国の被害状況を確認しながら考察します。

さらに、「アジア通貨危機の教訓を投資活動に生かすことはできないか?」ということについても考えてみます。


1. 被害状況の確認
まず、アジア通貨危機の当時国を、3つのグループに分類しました。
分類の指標は、通貨危機の翌年1998年の経済成長率が「-5%以下」、「-5% ~ 5%」、「+5%以上」のいずれかという点です。
結果は以下の通りです。

✔︎ 大きな被害を受けた国(1998年の経済成長率 : -5%以下)
→ タイ、マレーシア、インドネシア、香港、韓国
✔︎ 被害が軽微だった国(1998年の経済成長率 : -5% ~ 5%)
→ シンガポール、フィリピン、日本
✔︎ ほとんど被害がなかった国(1998年の経済成長率 : +5%以上)
→ 中国、ベトナム、台湾、インド


・大きな被害を受けた国
通貨危機から1年明けた1998年、この4カ国の経済成長率は、前年比マイナス5%以下を記録しました。
それだけに通貨危機の爪痕は大きく、コストカットのためのリストラの嵐が吹き荒れました。
IMFや外国金融機関から提案された再建策に含まれていたためです。
その責任を取って、政権交代を余儀なくされた国も少なくありません。
各国の被害状況について、大まかに見ておきましょう。

・タイ
→ IMF支援、金融の対外開放、政権失脚
・マレーシア

・インドネシア
→ 1998年スハルト失脚、IMF支援
・韓国
→ 財閥倒産、国内銀行58社のうち56社が倒産、IMF支援
・香港