Ossan's Oblige ~オッサンズ・オブリージュ~

文化とは次世代に向けた記録であり、愛の集積物である。

日本の男尊女卑の起源は江戸時代にある【かわいいや大和撫子は美の領域にまで昇華された差別思想】

f:id:Illuminated29:20190606170843j:plain

日本には平等を重視する伝統があるのに、どうして女性を下に見る傾向があるのでしょうか?
男女差別傾向の起源について考えた結果、江戸時代に作られた平等政策に行き着きました。


男性にとって、女性は欠かかすことのできない存在です。

人間の3大欲求は、食欲、睡眠欲、そして性欲であり、欠乏の極地には死が待っています。
だから人間は、飢餓に陥らないように努力し競争し、限られた資源にありつこうとします。

しかし、資源の数は限られているので、全員が資源にありつけるわけではありません。

睡眠欲だけは例外で、場所さえあれば、誰でも満たすことができる欲求です・

しかし、食欲と性欲に関しては、その限りではありません。

食べ物は無尽蔵に存在するわけではないので、お金が必要です。
性欲も女性の合意がなければ犯罪として裁かれます。

供給はいつも需要よりも少ないのです。
誰もが欲求を満たそうとしますが、椅子取りゲームのように、あぶれる人が出てきます。

つまり、この2つの欲求は、人々の間に格差を生じせしめます。

特に性欲の場合、男性は常に女性に対して劣勢です。

なぜなら、生物的に出産という重い負担が割り振られている分、恋愛の主導権は女性に与えられているからです。

男性は、常に求愛し、女性に選ばれなければ、資源からあぶれた負け犬の烙印を押されてしまいます。


実際、自由恋愛が主流の今の日本でも、若者の恋愛離れが社会問題となっています。

芸能メディアの浸透とともに異性に求める水準も高まり、資源(限られた魅力ある異性)を得損ねる者が続出している証左といえます。

それでも、暴動や革命現象が起きないのは、食べ物が社会にあふれているからでしょう。

日本で仕事をすれば、世界的に見て十分なお金が手に入ります。

物価も安いので、食欲の飢餓に陥ることはほぼありません。

性欲の不満も、食欲で補うこともできますし、なんならお金を払って無理やり満たすことも可能です。


いっぽう日本と違って最貧国の国々(格差が大きい)には、一触即発を予感させるような重々しい雰囲気が社会に漂っています。

そういった国に多い若者たちは、仕事を頑張っても満足なお金が手に入らないので、欲求すら満足に解消することができないでいるのです。

こうした国は、政変や自然災害が起こると、人々がスーパーマーケットを襲撃します。

ただでさえ治安の悪い自国が乱れたら、安全が守られないという確信があるので、武力行使で自衛せざるを得ないのです。


それでも、産業化の進んだ今はまだましでしょう。

世界的に今より貧しかった20世紀のころは、庶民の欲求不満が暴動や共産主義革命として積極的に行使されてきた歴史があります。

20世紀より前の時代ならなおさら、科学の進歩が弱かったので、化学肥料も冷蔵庫もなく、食糧供給は厳しい状態でした。

大人口国・中国の歴史を見ると、農民革命による王朝交代の例が飽きるほど出てきます。
また、「脚のあるものは何でも食べる」食習慣に、飢餓の厳しさに喘いできた歴史が反映されています。


もちろん、仏教国でおとなしい、平等的な日本であっても、人々は長引く欲求不満状態に黙ってはいませんでした。

たとえば、太平の時代といわれた江戸時代でも、暴動がおきた例は探せばあちこちに転がっています。

その中で大規模でもよく知られているのが、「大塩平八郎の乱」です。

平八郎率いる反乱軍は、長引く飢饉に無策の政府に怒りの声を上げました。

食料分配が政策的になされないなら、暴力でもぎ取ってやろうという論理です。

貴族階級の裕福な暮らしを横目に、窮乏に耐え続けるのは我慢の限界。

これは世界で頻発する暴動と同じ論理です。


しかし、暴動と無縁ではなかったものの、江戸時代の日本は後世の人々に「太平の時代」と称されるほど、平穏な時代を過ごしていたようです。
なにせ3世紀もの長期の間、数えられるほどしか暴動が起きていないという世界ではまずありえない時代を実現したのです。

この背景には何らかの政策的な回避策が存在していたのではないでしょうか?


日本人は、平等を実現するために女性の我慢を強いた

暴動や革命は、いつも格差が原因となって起こります。

少数の貴族階級が資源の大半を独占し、あまった少数の資源を多数の人民が奪い合うという構造に限界が生じたとき、人民は武器を持って立ち上がってきました。

為政者にとって、革命はもっとも恐怖すべきシナリオの1つであり、未然に回避策を打たなければなりません。

回避策は、国や地域ごとにさまざまです。

大陸の国では、弱い国を武力占領し、劫掠を実践させる、敵国の人民を強制移住させて、最下層階級に据えるといったガス抜きの方法が実践されてきました。
あるいは、国民を宗教や民族で分断し、互いに争わせることで不満の矛先を自分たち以外に向けさせるという手法も用いられました。

島国日本の場合、敵国がいないので、基本的に平和です。

したがって、為政者の課題とは、民の不満そのものに向き合い、暴力性へとつながる不満を中和させることでした。

3大欲求のうち、飢餓に陥りやすく危険なのは、食欲と性欲です。

このうち、食欲は、生産力に限度のある時代だったので、平等に満たさせることは不可能です。

しかし、性欲の場合、一種の無理を伴う社会通念を作り上げてしまえば、なんとかなりそうです。

つまり、本来恋愛の主導権を握るべき女性を抑圧し、差別し、男性側の優位を制度化することで、民衆の欲求不満を解消させようとしたのではないでしょうか?

欲求には、1つの欲求を満たしている間、他の欲求不満は忘れられるという特徴があるので、全ての欲求を満たさなくとも、1つを徹底的に充足させてやれば、他の不満は忘れることができます。

こうした女性への無理の強制、男性の優位といった基盤は、日本にもともとある夜這いに代表される性的なおおらかさと加わって、家制度やお見合い制度として社会の表舞台に登場していくこととなります。

実際、鎌倉時代には貴族の間でしか行われていなかったお見合い婚が、民衆に開放されたのは江戸時代からです。
語り継がれる夜這いなどの大らかな性風習も、制度的に普及されたことが考えられます。
自然流行によるものであっても、弾圧されなかったのは、統治者の利益に適う(ガス抜きができる)現象だったからでしょう。

このように、食糧供給の貧しい時代に265年もの間、(平八郎など少数の例外を除き)暴動や革命と無縁でいられたのは、性的大らかさが大いに寄与していたことが考えられます。


とはいえ、種の構造レベルから、女性は常に男性に優位なはずです。

そんな中、民衆の不満を抑えるために性配分の平等を実現するには、女性側の我慢が不可欠です。

これが、今日よく見られる、「男性が女性を常に下に見て、コントロール下に置こうとする、またコントロール下に置くことができる」と考える社会通念の萌芽だったのではないでしょうか?

夫の欲求におとなしく従い、召使のように仕える女性のことを、日本人は「大和撫子」として賞賛してきました。

あるいは、そうした女性の前兆である「一歩下がる女性」は「かわいい」という日本的美の象徴として称えられます。

男性に対する従順性は美の領域にまで昇華され、平等の実現に貢献してきたのです。